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大阪高等裁判所 昭和35年(ネ)191号 判決 1967年4月24日

控訴人 米原喜三治

<ほか一名>

右両名訴訟代理人弁護士 能勢喜八郎

天野一夫

佐藤雪得

森恕

上辻敏夫

右訴訟復代理人弁護士 山西健司

引受参加人 森本英一郎

<ほか二名>

右三名訴訟代理人弁護士 冬柴鉄三

右訴訟復代理人弁護士 平山成信

被控訴人 吉本晴彦

右訴訟代理人弁護士 中尾良一

主文

一、原判決中被控訴人と控訴人米原喜三治との関係部分を次のとおり変更する。

(イ)  控訴人米原喜三治は被控訴人に対し、別紙目録第一の二の建物を収去して同目録第一の一の土地を明け渡し、且つ昭和二七年一一月二一日より同三一年六月一五日まで一ヶ月金三、九六〇円、同年六月一六日より右建物収去土地明渡ずみまで一ヶ月金一一、〇〇〇円の各割合による金員の支払をせよ。

(ロ)  被控訴人の同控訴人に対するその余の請求を棄却する

二、控訴人有限会社米原商店の控訴を棄却する。

三、被控訴人に対し、引受参加人森本英一郎は右建物中階下中央通路より北側約六坪の部分、引受参加人増田正一及び同柴田和夫は同建物二階部分より各退去せよ。

四、訴訟費用中被控訴人と控訴人米原喜三治との間に生じた部分は第一、二審とも同控訴人の負担とし、被控訴人と引受参加人らとの間に生じた部分は引受参加人らの負担とし、控訴人有限会社米原商店の控訴費用は同控訴人の負担とする。

五、本判決は被控訴人勝訴部分に限り、被控訴人において、控訴人米原喜三治に対し建物収去土地明渡部分につき金四〇万円、金員支払部分につき金一五万円、控訴人有限会社米原商店及び引受参加人らに対し各金五万円の担保を供するときは、それぞれ仮りに執行することができる。

事実

控訴人両名代理人は、「原判決中控訴人ら敗訴部分を取消す。被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、控訴につき「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人らの負担とする。」引受参加人らに対し主文第三項同旨及び「引受参加によって生じた費用は同参加人らの負担とする。」との各判決、並びに控訴人ら及び引受参加人らに対し本件建物収去同退去及び土地明渡の部分につき仮執行の宣言を求め、なお、控訴人米原喜三治に対する金員請求を昭和二七年一一月二一日以降の分に減縮し、控訴人有限会社米原商店に対し、その退去を求める部分を別紙目録第一の二の建物中階下西六畳の間の部分に減縮し、同控訴人に対する金員請求を取り下げた。なお、引受参加人ら代理人は何らの申立をも為さない。

事実に関する当事者双方の主張及び立証の関係は、左に記載する外、原判決事実摘示のとおり(但し、原判決二枚目裏一行目の「一日」を削除し、同五枚目表一三行目の「隣地(梅田四番地の一)に」の次に「跨り」を、同八枚目裏八行目「(イ)」の次に「本件土地使用目的は仮建築物の敷地ではなく、被控訴人は契約当初より本建築物を建てることを許諾していた。」を、同一二枚目表一一行目の「同第一号証」の次に「同第四号証」を各加え、同裏三行目の「上野敏夫」を「上野敏男」と訂正)であるから、これを引用する。

(被控訴人の主張)

一、被控訴人は、控訴人米原喜三治に対する請求原因として、別紙目録第一の一の土地(以下本件土地という)の賃貸借終了による原状回復請求権と同土地の所有権に基く妨害排除請求権(各それに伴う金員請求を含む)とを選択的に主張し、契約解除については、後記昭和三九年四月一八日付解除以後の分を除くその余の解除及び解除原因を選択的として第一次に主張する。

二、従前主張の契約解除がすべて理由がないとしても、控訴人米原は昭和三八年頃本件土地を含む周辺約九八〇坪の被控訴人所有の土地を被控訴人に秘してひそかに他に坪当り二五〇万円で売却しようと策動したものであるところ、右は明らかに借地人としての著しき背信行為であるから、右理由に基き、昭和三九年四月一八日の本件口頭弁論期日において本件賃貸借を解除する旨意思表示をしたから、右契約は同日終了した。

三、被控訴人は、控訴人米原喜三治に対し、本件賃貸地上に在る別紙目録第一の二の建物(以下本件建物という)の現状を変更せずその占有移転等の処分を禁ずる趣旨の昭和三一年一月一七日付仮処分命令を得て、これを執行したのに、同控訴人はこれに違反し、控訴会社を通じて後記の如く引受参加人三名外一名に右建物の各該当部分を賃貸し、あまつさえ同人等に対する賃料債権が強制執行を受けることを免れるため、これを他に仮装譲渡するとの挙に出たが、これは明らかに借地人としての著しき背信行為というべきであるから、右背信行為を理由として、昭和四〇年一二月八日の本件口頭弁論期日において本件賃貸借を解除する旨意思表示をしたから、右契約は同日終了した。

四、本件引受参加人らは、上述の如く控訴人らより借り受けたものと称し、昭和三四年一・二月頃より本件建物中主文第三項掲記の各該当部分を使用占用している。しかし右建物の所有者たる控訴人米原がこれを収去して本件土地を明け渡すべき義務を負うことは既述のとおりであるから、被控訴人は右土地の所有権に基いて、同参加人らに対し、右建物の収去に伴い、右各使用部分からの退去を求める。

(控訴人両名の主張)

一、既述のとおり、控訴人米原は被控訴人より、その所有の本件土地の外、同様被控訴人の所有にかかるその北側の別紙目録第二の土地(以下本件隣地という)をも建物所有の目的で賃借しているのであるが、同控訴人は昭和二二年三月一二日これを借り受けた頃権利金として金一四万円を支払い、昭和二四年五月上旬同土地が大阪府から被控訴人に返還後は同控訴人において直接これを占有し、同年六月一日には右地代の先払分として金一三万円を被控訴人に支払っている。尤も右土地については、正式の賃貸借契約書及び地代の領収証等の書類は存しないけれども、同控訴人が右土地の借地権を有すること、従ってこれが利用をなし得ることは明らかである。

二、控訴人米原は、右の権原に基き、本件隣地上に被控訴人主張の掛け出しを築造したものであって、右は正当な行為であるのみならず、右築造は昭和二七年の四月より七月末にかけ相当長期間に何回にも分けて行ったものにもかかわらず、既述のとおり被控訴人はこれに対し何らの異議を述べなかったのは、即ち右正当性を容認していたか、少くともこれを黙認していたものというべく、仮りに右築造が違法としても、当該部分の収去義務を生ずるに止まり、本件土地の賃貸借についての背信行為とはならない。

三、被控訴人主張二の事実(売却策動の点)は否認する。

≪証拠関係省略≫

理由

(控訴人米原喜三治に対する請求)

第一、本件建物収去、本件土地明渡の請求について。

先ず被控訴人の主張する本件土地の賃貸借契約解除につき、被控訴人が選択的に主張する解除原因のうち本件掛け出し築造による解除の当否について判断することとする(なお以下単に、被控訴人を吉本、控訴人米原喜三治を米原と略称する)。

一、事実関係

吉本が昭和二一年七月その所有の本件土地を米原に賃料月四四〇円の約で賃貸したこと、米原が右地上に本件建物を建築所有すること、米原が昭和二七年中に本件建物から本件隣地の南部分にかけて、建坪約二六坪四合(その位置、範囲は≪証拠省略≫によれば別紙図面ハ、ニ、ホ、ヘ、ト、ハの各点を結ぶ線内の地上)の掛け出し様の構築物を築造したこと、右隣地も亦吉本の所有に属すること、以上は当事者間に争がない。

右の事実に、次の各証拠≪省略≫を綜合すれば、以下のような事実を認めることができる。即ち、

(一) 本件賃貸借の成立と本件建物の建築

本件土地は、本件隣地とともに、別紙図面にも表示のとおり、国鉄大阪駅前に位置する土地であって、戦前より大阪市から高層建築物の建設地として指定され、終戦の頃は空地となっていたものである。右両土地を含む周辺約九八〇坪の土地は吉本の所有するところであるが、同人は終戦の頃応召のため内地におらず、これらの土地の管理は吉本家の当時の支配人梅田成治や使用人(後に支配人)の尾崎巳亥蔵がこれに当っていたが、同人らは、かねて吉本がこれらの土地上に高層ビルを建築する意図を有していることは充分承知していたものの、当時その計画実現の具体的な目安は未だなく、加えて財産税納付の必要や第三者による土地不法占拠を防ぐ必要上、さしあたりこれらの土地を他に賃貸すべく信頼し得る借手を探していたところ、右尾崎の古くからの知人であった弁護士四塚利一がその事務所建築用に本件土地二二坪の賃借方を求めたので、昭和二一年二月頃、地上建物は仮設事務所のこと、期間は二ヵ年、賃料は月四四〇円と定めてこれを同人に賃貸することとした。

ところで、四塚はかねて米原とも知り合いの関係にあったのであるが、四塚が都合で右地上に事務所を建築できないでいたところ、当時大阪市の南部で旅館を経営していた米原は、大阪駅前において物産館等の事業を起すべく、市内北部への進出を望んで四塚にとりあえず右二二坪の土地の借用あっせんを要望するに至った。そこで四塚は前記尾崎を通じて梅田に交渉し、同弁護士が米原の人物・資力等を保証したこともあって、同年五月中旬頃、梅田は、四塚から米原への右土地賃借権の移転を承諾し、吉本から米原に直接賃貸する形をとることは約したものの、正式の契約書類の作成その他細目の打ち合せは将来に譲り、ただ右の承諾に際しても、同土地がビル予定地であることを明瞭に告げ、四塚への賃貸条件と同じく、地上建物は仮設のものに限ること、期間は二ヵ年とすることを確認したうえ、土地保安の必要もあり、保証金(敷金)二、六四〇円を差し入れたときは直ちに建築手続に入り得ることを認めた。そこで米原は、直ちに右保証金を差し入れたうえ、府知事に対し、将来都市計画等で必要の際は無償で撤去する旨記載した書面を副えて、仮設建物建築の許可申請をなし、同年六月その許可があったところ、同月吉本も復員したので、同年七月一〇日頃双方において、本件土地の賃貸借契約書(≪証拠の表示省略≫)を作成し、ここに同契約は正式に成立した。

右契約は、建物所有を目的とする本件二二坪の土地の賃貸借契約であるが、右契約書によると、「(右)土地ハ組立式一時的仮設建物ノ敷地トシテ使用」せられるべく、「永続的建物ノ敷地トシテ使用」し得ざるものであって、なお「借地法第九条ノ……借地権設定」である旨が附記されている(以上第二条)の外、期間は二ヵ年で原則として更新せず、賃料は月四四〇円で月末持参前払(なお前記保証金差入)等と記載され、更に特約として、「(一)既存工作物ノ改築若クハ大修繕ヲナシ又ハ用途ヲ変更セントスルトキ(二)賃貸人ガ賃貸土地ニ本建築ヲナサントスルトキ(三)賃借人が本件契約ノ条項ニ違反シタルトキ」等は催告を要せずして契約を解除し得る旨の約款(第八条)が附されており、上記四塚利一外一名が米原を連帯保証しているが、吉本の上記ビル建設計画が当時なおその実現の具体的目安はなく、又右契約書は吉本と本件周辺数十名の借地人との借地契約にも用いられている内容ほぼ同旨の印刷済用紙であり、又米原がその内心において前叙のような意図を有しており、従って右契約書の記載に必ずしも満足していなかったけれども、他面吉本が同書面記載どおりの内容の一時的契約を強く望んでおり、米原も亦上述の如き経過によりこれを充分承知していたので、その内心の意図を吉本側に表示せず、何らの異議をとどめずして同契約書に署名押印した。これらの点からみて、主として法的評価の問題である借地法九条の点を除き、当事者双方とも右契約書の記載に拠って本件契約を締結したとみられる。

しかして右契約後、米原は約一年を費して右地上に別紙目録第一の二の如き本件建物を建築したものであるところ、同建物は仮設建物とはいい難い本建築式の二階建店舗であって右契約の趣旨に違反するものであるが、当時なされた吉本の異議に対し、前記四塚を通じて米原より、将来解体時の再利用を考えて本建築式用材を用いたが、必ず除去して迷惑をかけない旨の返答があったので、吉本としてもそれ以上は追及せず、この点は黙認の形となってしまった(なお本件周辺の他の借地上にもその後二、三階建の本建築式建物が建築せられるに至ったが、吉本としては異議警告を発しつつも結局は黙認を余儀なくさせられていた)。そして爾後、右契約は二年目毎にも特段の意思表示なく殆ど自働的に更新され、地代も亦順次増額せられ、米原は同所において商工案内所ないしは繊維卸商等を営んでいた。

(二) 本件隣地についての当事者間の折衝

米原は、上述のように市内北部で物産館の事業を起すべく、その手始めに本件土地を借受けることとしたもので、右事業には本件土地二二坪では手狭で用を足さず、一応案内所程度の建物を建てておき、早急に本件北側隣地をも借増しして使用し、建物も増築して本来の希望を達成する意図の下に本件契約を結び、右の計画は四塚との間では協議に上り四塚は米原に是非本件隣地をも同人のために賃借してやると言明していた。右米原等の意図は本件土地借受の頃には未だ吉本方に明らかには表示されていなかったが、前記契約締結後間もない同年八月頃、米原の求めで四塚から本件隣地賃借について尾崎に交渉があった。しかし、吉本が右土地を容易に他に賃貸する意思のないことを知悉していた尾崎はこれを断わったものの、旧知の間柄である四塚との関係上、無下にその要請を拒否する訳にもいかず、将来に希望をつなぐ程度の話をしながら折衝が続けられ、結局吉本の耳にも入ることとなった。当時同土地は大阪府に賃貸され、同地上には引揚者援護関係の診療所が建てられていたのであるが、これは早晩撤去せられて同土地は吉本方に返還されることが予想されていたところ、吉本としては、右土地を含めた周辺約九八〇坪の土地を所有してはいるものの、右土地以外はすべて他に賃貸し又は不法占拠の黙認等を余儀なくされ、右土地即ち本件隣地のみが将来活用し得る重要財産であったので、もとよりこれを断わったのであるが、四塚をも通じての米原の執拗な交渉に対し、結局法律上は何らの拘束力のないことを明瞭に確認したうえ、昭和二二年一〇月二八日、吉本と米原(保証人四塚)間に大要左のような協定が成立し、同日付でその覚書(≪証拠の表示省略≫)が作成せられた。

即ち、「吉本は本件隣地を含む周辺約五〇〇坪の所有土地を将来他に賃貸又は売却する場合は、米原に優先的に相談すること」、「吉本は右約五〇〇坪の土地を将来自身で利用経営する場合は、米原を出資者に加えることにつき優先的に相談すること」というものであって、なお右は、米原の「良心的願い」であり、吉本を決して拘束するものではないことが附記せられている。なおその頃、米原が四塚を通じ、右の折衝ないし協定に関連して約一〇万円の金員を贈ったことがあるが、吉本はこれを受け取った訳ではなく、前記尾崎をして即時右四塚に返却するよう命じたが、四塚が受領を回避したため、尾崎がこれを保管していたにすぎなかった。

ところで昭和二四年春頃に至り、右土地は、地上建物(診療所)を撤去して府より吉本に返還せられたところ、早速米原より借受の話があり、又その後米原方の工藤寛平を通じ、当時本件隣地の北側で第一生命ビルの建築工事をしていた竹中組より一時借用方を申し入れたこともあったが、いずれも吉本は固くこれを断わり、爾後同土地の処理方針(賃貸売却又は自己利用)が定まらず、従って前記覚書による相談を米原にする事態も生じないまま時日を経過した。しかし米原は、その間吉本に無断で同土地に荷物を置いたりしてこれを利用していたことがあり、吉本の米原に対する信頼感は徐々に薄らいでいた。

(三) 本件掛け出しの築造

昭和二七年初夏の頃、米原は、突然本件建物から右隣地上に下記の如き掛け出し(葺下し、又は下屋)風の構築物を築造した。即ちその頃、米原は本件北隣地についてすでに借増ができて、賃貸借による使用の権利ありと考え、本件建物を拡張する趣旨の下に、当時本件建物の二階に開いていた繊維品のせり市の商品置場にする目的で、先ず本件隣地のうちその東南隅約四坪三合(別紙図面ハ、トを結ぶ線と点線との間の部分)地上に、本件建物に接続し、これとの間は本件建物の板壁をそのまま利用した木造トタン葺き平屋建の小屋風のものを建築し、次いでこれを改造すると共にその西側に、およそ二回にわたりこれを延長して本件建物の北側板壁面から北方へトタン葺屋根を葺下して作った掛け出しを建築し、結局同年夏頃までの間に合計建坪約二六坪四合の本件建物に接着する掛け出しを完成し、右敷地のほぼ全部は本件隣地の上に進出した形となって右隣地の一部を占有し、右掛け出しの内部には電灯設備も施したうえ、別紙図面に表示のとおり本件建物との間(本件建物の板壁)二ヵ所に戸口を設けて自由に出入り利用出来るようにした。

吉本方においては、当時前記梅田のあとを継いで支配人となっていた尾崎が四塚と共に、同年八月頃米原に抗議したところ、米原は一応その非を認めながらも上記協定(覚書)等を楯にとって誠実な態度を示さず、吉本としても既に建築ずみのことでもあり、あえてその即時撤去までは要求しなかったものの、米原が爾後これを商品置場として利用し続けたこととも相俟ち、吉本は米原に決定的な不信感を持つようになり、右掛け出しの建築を契機として両者の仲は急速に不和の状態となるに至った。

(四) 右築造から本件解除までの概況

吉本は、米原に対する右不信感の高まりから、米原が更に本件隣地に無断侵入することをおそれていたところ、丁度その頃吉本と訴外神戸銀行との間に右隣地を含む本件周辺土地の賃貸借及びビル建築に伴う新事業計画の話が進行していたのであるが、吉本としては前叙協定(覚書)により米原に右の旨を相談するときは、右掛け出しを無断築造した経過からみても、さらに如何なる事態が生ずるや判らぬことを憂慮し、右の旨を米原に打ち明けず、只将来右の新事業には米原も参加させる意思の下に、とりあえず右神戸銀行との間に昭和二七年九月下旬本件隣地についての賃貸借契約を正式に締結した。そこで吉本は、同年一〇月中旬、同土地も北側及び東側に存した板塀(同人は、上述の大阪府の明渡の際に府より譲り受けたままの物と信じていた)をとりこわし、新たに自ら新板塀を設けたうえ同土地を右銀行に引き渡したところ、米原は右旧板塀は自己の所有物であるとして、吉本らを器物毀棄罪で告訴するに至った。

ここにおいて両者の関係は完全に破壊され、吉本は、米原に対し、一方において右掛け出し収去敷地明渡等の訴訟を提起するとともに、他方本件土地の地代につき、かねて吉本方集金人千田安太郎をしてこれが取立に赴かせていたのを、同年一一月分以降はその取立及び受領を禁ずるとの措置を執ったところ、同年一二月二五日に至り、米原は本件隣地の空地部分に一夜で一四戸一棟のバラックを急造してこれが占有を企図するの挙に出たので、吉本は止むなく同月二九日自力で右バラックをとりこわしたところ、米原より建造物損壊罪で告訴されて起訴されるという事態となった。そして翌昭和二八年の一月二〇日着の書面で、吉本は米原に、前叙本件建物の本建築及び右一一月分以降の賃料不払を理由に本件土地賃貸借を解除する旨の意思表示を為し、更に同年一二月本件訴訟を提起し、同訴訟の昭和三一年六月一五日の口頭弁論期日において、右掛け出し構築を本件建物の無断増築と同時に賃貸人に対する重大な背信行為であるとし、催告を経ずして本件解除の意思表示を行ったものである(最後の点は一件記録により明らかである)。

(五) 以上の事実が認められ、≪証拠判断省略≫

二、そこで前認定の事実関係の下における本件掛け出しの構築が、本件土地の賃貸借契約の適法な解除原因たり得るか否かにつき判断する。

まず右の掛け出しは、建物それ自体として見れば、前認定の構造及び本件建物との関係、位置の点から見て、本件建物の拡張増築に該当し、主体たる本件建物に附加して一体となったものであることは明白である。従って、敷地の点より見ても、右掛け出しの敷地は、主体たる本件建物の敷地の拡張部分としての意味を持ち、この点において右掛け出し部分の敷地の使用権原たる賃貸借契約(もしそれが存在するとすれば)に、本件建物の敷地の賃貸借契約とは同一目的に奉仕し、少くとも客観的には密接な連関関係に在るものといわねばならない。次に借地関係当事者の主観的見地から見ても、控訴人米原は本件隣地を本件土地賃借の当時から借増予定地とし、その前提で本件土地を借入れ、又その借入れ後間もなく本件隣地の賃借につき前認定のような紳士協定を結び、或る程度の資金を投じて、これで大体間違いなく借入れができるものとの見透しを立て、既定計画実現の一歩として、先ず既成事実を作るべく、本件建物の増築の目的で前記の掛け出し構築に着手したものと推測するに難くなく、反証はない。従って、本件隣地の賃貸借契約(もしありとすれば)は、対象たる土地それのみの観点からは、本件土地賃貸借とは別個の契約ではあるけれども、少くとも賃借人となるべき米原の立場からは、本件土地の賃貸借契約と同一計画に含まれた一連の方針の実現方法であって、しかもその相手方たる賃貸人(土地所有者)は本件土地の賃貸人とは同一人であるから、本件隣地に関する上述の紛争は、本件土地に関する契約との関係では、同一人間に生じた右のように主観的にも、客観的にも密接な牽連関係に在る契約及びその目的土地(右の牽連性の点から見て、本件契約目的土地のいわば延長とも見られるもの)の占有権原についての紛争であり、この理由により両者を併せ結合して考察するときは、右紛争における控訴人米原の行為が違法と見られるとき(即ち本件隣地の占有、使用の権原が認められないとき)は、その行為は、本件契約に関し契約に定められた使用収益の権利の限界(外延)を超えて賃貸人の権利を侵害する行為(この点で、独立的な不法行為となることは勿論であるが)として、本件契約の義務違反となり、等しく義務違反たる点で、契約内容の限界内におけるそれとの間に何等の径庭を認め難い。

以上の見地に立ち、本件掛け出し構築の敷地とした本件隣地の占有権原についての紛争を見るに、前段認定事実よりは、控訴人米原の本件隣地に対する占有権原として主張する賃貸借契約(昭和二二年三月一二日成立)の存在を認めるに由がなく、従って、右賃貸借契約における隣地の利用法として、建物の建築が許容されると否とに拘らず、控訴人米原の右行為は、本件賃貸借契約に関連して、かつその範囲を超えて、賃貸人吉本の所有土地を不法占有し賃貸人の権利を侵害したもので、しかもその不法占有土地の範囲は前述の通り約二六坪四合に上り、本件契約目的地二二坪を上廻り、その不法行為の度合に於いても、極めて重大であり、本件契約当事者間において、継続的契約としての信頼関係の保持に当然に重大な蹉跌を生ずる程度、性質のものであるといえる。しかも又、控訴人米原と被控訴人との間においては、前記掛け出し構築の紛議のみならず、その後においても板塀の所有権とその改廃問題、さらに右隣地の他の部分(本件掛け出し用敷地の延長部分)の実力による不法占拠とその排除問題という重大紛争に発展し、事態は一層悪化の一路をたどったことは前認定の通りであるから、前記掛け出しの無断構築行為は、本件賃貸借当事者が深刻な抗争敵対関係に突入する重要な端緒となり(この点は当審証人四塚利一の証言によっても明白である)、これのみで継続的契約維持に必要な信頼関係を破壊するに充分な事由であるといわねばならない。そうすると、右の行為はこれを賃貸人に対する義務違反として契約解除の原因となすに足りるものであり、この理由により被控訴人が昭和三一年六月一五日控訴人米原に対して為した本件契約解除は適法有効と認むべきである。よって控訴人米原に対する被控訴人の本件建物の収去、本件土地明渡の請求(所有権に基くものと認める)は正当として認容すべきである。

第二、賃料及び損害金の請求について。

被控訴人吉本は、本訴において同人主張の各時期における契約解除を主張したうえ、そのうちの一たる昭和二八年一月二〇日の解除の有効を前提として、同日までの賃料及び翌日よりの損害金を求めているのであるが、右は当然、仮に右解除が認められないときは、他の有効な解除の日までの賃料及び翌日よりの損害金を求める趣旨の主張を含むものと解されるので、以下、前記昭和三一年六月一五日の解除による右金員請求につき判断する。

一、賃料請求

吉本は、昭和二七年一一月二一日より右昭和三一年六月一五日までの本件土地未払賃料を求めるところ、米原は、右賃料全部が未払なることを認めたうえ、昭和二七年一一月分より翌二八年一月までの三ヵ月分については現実の提供をなしたが受領を拒絶されたので同二八年一月下旬頃供託し、爾後の分もすべて供託していると主張するが、右弁済提供の点はともかく、右供託の点に関する立証としては、これに沿う≪証拠省略≫が存するのみであるところ、右米原の各供述は弁論の全趣旨に照らして容易にこれを信用することができず、又右乙号証は昭和三三年五月分の供託書であって、右はすでに契約の解除後であるのみならず、右一通の供託書の存在のみで前記全期間の供託の事実を推認する訳にはいかないから、結局米原の右主張は採用することができない。

そこで右賃料の額につき検討するに、吉本の請求は結局、昭和二七年一一月二一日より昭和二八年五月末日までは月三、九六〇円、同年六月一日より昭和二九年三月末日までは月六、六〇〇円、同年四月一日より昭和三〇年三月末日までは月九、九〇〇円、同年四月一日より昭和三一年六月一五日までは月一一、〇〇〇円の各割合の賃料を求めていることに帰するところ、右昭和二七年一一月二一日当時の本件賃料が月三、九六〇円であることは米原において明らかに争わないのでこれを認めたものとみなすべきも、その余の賃料額についてはこれが増額の請求ないしは合意のあったことの立証がないから採用することができず、結局被控訴人吉本の右請求は、昭和二七年一一月二一日より右解除の日まで月額三、九六〇円の割合による延滞賃料を求める限度で理由があり、その余は失当として棄却を免れない。

二、損害金請求

被控訴人吉本は、右解除の翌日から本件建物収去土地明渡ずみまで、本件土地に対する賃料相当の損害金として月一一、〇〇〇円の割合による金員を求めるところ、≪証拠省略≫によれば、右昭和三一年六月一六日当時の賃料相当額が月一一、〇〇〇円であることが認められ、これに反する証拠はないから、右割合の損害金の支払を求める同人の請求(所有権に基くものと認める)は理由がある。

(控訴人有限会社米原商店に対する請求)

被控訴人が本件土地を所有すること、控訴会社がその地上の本件建物中階下西側六畳の間を使用占有していることは、当事者間に争がない。控訴会社は、右占有の権原として、控訴人米原の主張と同一の主張を前提として、同人よりの借受をいうのであるが、右控訴人米原の主張の理由なきことはすでに判示したとおりであるから、右控訴会社は、本件建物の収去に伴い右使用部分より退去すべく、これを求める被控訴人の請求は理由があり、同控訴人の控訴は失当である。

(引受参加人らに対する請求)

被控訴人が本件土地を所有すること、参加人森本が本件建物階下中央の通路より北側約六坪、参加人増田及び柴田が右建物の二階全部を各使用占有することは、同参加人らにおいて明らかに争わないので、これを認めたものとみなすべきである。しかるところ同参加人らは右占有の権原について何ら主張立証するところがないので、同人らに対し、本件建物の収去に伴い右各使用部分よりの退去を求める被控訴人の請求は理由がある。

(むすび)

以上の次第であるから、被控訴人の控訴人米原に対する請求中、建物収去土地明渡を求める部分は全部正当として認容し、金員の支払を求める部分は前記判示の限度で正当としてこれを認容すべきもその余は失当として棄却すべく、これに伴い原判決を右の如く変更し、控訴会社の控訴は理由がないから棄却(但し金員請求は取下により失効)し、被控訴人の引受参加人らに対する請求は全部正当としてこれを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、九五条、八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判長判事 宮川種一郎 判事 黒川正昭 小谷卓男)

<以下省略>

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